吉備津彦神社


10万坪を超える広大な神域を有する備前国の一宮。桃太郎のモデルといわれる大吉備津彦命が御祭神で吉備国平定後、屋敷跡に建てた社殿が創建とされます。

由来

当社は昔、太陽、月、磐座、巨木を仰ぎ山は神体山にして天津磐座磐境を有し、境内十万町歩といわれ、朝日の宮と称され、本州一宮、吉備之國一宮、国の宗祖神を祀るお社として崇められてきた。御祭神の大吉備津日子命は吉備之国及び周辺の地を平定、永住され諸民を愛撫仁政を敷かれ、崇神天皇の60年に神去りまして後、吉備中山の宗廟の東麓の住居跡に社が建てられ吉備津彦宮、吉備津彦神社といい崇められて来た。
後に佛教が入り、神宮寺神力寺常行堂法華堂も建てられ総括して吉備津宮とも称された。慶長年間には岡山、池田照直公が社領三百石を寄進し累代変わることなく崇敬厚かったが、池田光政公により現在の地に昔の熱田神宮様式にて社殿建築が着手され、その子綱政の時完成造営された。昭和5年、不慮の火災により本殿と隨神門を残して全部焼失したが昭和11年社殿が再建され現在に至っている。

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散策


ついにやってきました。吉備津彦神社!


さすがは備前国一の宮。社号標が立派^^


鳥居付近に鎮座する備前焼の狛犬様。筋肉質でかっこいい!


赤い灯籠が立ち並ぶ参道を進んでいきます。


随神門。元禄10年(1697年)岡山藩主・池田綱政公より造営され、岡山市の重要文化財に指定されています。


見上げると「吉備津彦神社」の扁額がありました。


こちらは拝殿。昭和5年(1930年)に火災で焼失し、昭和11年(1936年)に再建されたそうです。


拝殿に掲げられた扁額。「吉備津宮」は昔の名残です。


拝殿の後ろに「祭文殿」、その後ろに「渡殿」が建っています。珍しい!!


拝殿の下に通路を発見!せっかくなので行ってみよう^^


真っ暗で何もない。早く出よう^^;


反対側から。三間社流造りの本殿は、岡山県の重要文化財に指定されています。


絵馬に桃が描かれています。


本殿右側にある子安神社。縁結び、子授け等の神として崇敬されています。岡山市の指定重要文化財です。


こちらは菅原道真公をお祀りする天満宮。古くから境内にあり、別の末社に合祀されていましたが、平成17年に社殿を再建したそうです。


桃みくじ。お尻みたいでかわいい^^

御朱印

御祭神

大吉備津彦命

所在地

岡山市北区一宮1043