木. 11月 14th, 2024

與賀神社


欽明天皇の代の創建といわれる古社。室町時代前後の作と推定される楼門が見どころです。鍋島氏から佐賀城の鎮守、産土神社として崇敬されました。

由来

欽明天皇二十五年(564年)に勅願造立され、鎌倉時代は「与賀庄鎮守宮」で、建暦二年(1212年)北条義時が社殿を再興、寛元3年(1245年)執権北条経時が勅により祭祀の礼式を定めたと伝えられています。ついで、建長三年(1251年)には与賀郷の地頭であった大宰少弐資能安穏のため洪鐘一口が寄進され、永正十年(1513年)には神階一位に進められました。
室町後期に、太宰府長官であった少弐政資公は山口の大内氏に追われ佐嘉に落ち延びて来て、文明十四年(1482年)に現在の赤松町龍泰寺一帯にあった父教頼の旧館を開き与賀城を築き、当神社を鬼門の鎮守として崇敬し社殿を再興、楼門を造立し神事を修飾した。その後、少弐氏時代から高木氏、竜造寺氏、鍋島氏にかけては、与賀郷の宗廟として領主・藩主を始め一般士民の崇敬厚く、特に鍋島氏は佐賀城の鎮守、各代の産土神社として深く尊崇され、数々の寄進をなされた。鎌倉時代から江戸時代までは、現在の佐賀市西与賀町・東与賀町を含めた与賀荘一円、即ち佐賀城の南部・西部・北西部の地域の総鎮守宮であった。旧社格は大正14年に列せられた県社である。

散策


三の鳥居は石造明神鳥居で「肥前鳥居」の初期のもの。慶長8年(1603年)の銘がある国重要文化財です。


扁額には「与賀荘正一位與止日女大明神」とあります。


石橋は石造反橋で藩祖鍋島直茂夫妻の建立とのこと。こちらも重要文化財


室町後期の建立で大正2年に国宝、昭和25年に国重要文化財に指定された楼門。佐賀県内で最も古い木造建築物です。すごい!


近くにおられる狛犬様まで文化財級に見えるから不思議^^;


境内左側にある手水舎。蛇口をひねるタイプでした。


本殿は宝暦8年(1758年)、拝殿は翌年の宝暦9年(1759年)の建立とのこと。こちらも古い!


拝殿に掲げられた扁額。金色でめちゃ立派でした。目立ちますね~。


拝殿には由緒書きも掲げられています。珍しいですねー。


樹齢1400年と伝えられる大楠は県の天然記念物に指定されています。幹がでかい!


境内右側には寶壽稲荷(ほうじゅいなり)神社が鎮座します。


少弐神社。与賀城を築き、神社を城の鎮守として修復するなど貢献した少弐政資を祀ります。


近くにおられた古い肥前狛犬様達^^


佐賀恵比須神社。明治37年(1904年)に地元の有志が兵庫県・西宮神社の御分霊を祀ったのが始まりです。


境内には狛馬様もおられます。前髪がそろっててかわゆい(^^♪

御朱印

 

 

 

 

 

 

 

 

御祭神

(主祭神)

与止日女神(豊玉姫命)

(配祀神)

八幡神 彦火々出見命

住吉神 綿津見命

乙宮神 宗像三女神

印鑰神 天児屋根命

応神天皇

菅原道真公

所在地

佐賀県佐賀市与賀町2-50