脊振神社


佐賀県神埼市に鎮座し、神仏習合の姿を残す日本六所弁財天の一社として、五穀豊穣、開運、財運の神様として九州一円から崇敬を集めています。

由来

創建年代は不明ですが、神功皇后が三韓親征から帰国の際、無事に帰ってくることが出来たことに感謝して脊振山頂に宗像三女神をお祀りしたのがはじまりと伝えられます。『日本三代實録』の貞観12年(870)5月29日の条に神階を授かったことが記されており、その前後の貞観年中(859-877)厳寒積雪の中、 脊振山頂上で祭祀を執行うことが困難なため、下宮が建てられました。神仏習合の昔は同一境内に下宮と多聞坊東門寺が並び立っていましたが、明治期の廃仏毀釈を受け、社僧衆徒とを廃することとなり、 白蛇神社と改号。明治6年(1873)2月21日郷社に列せられ、 脊振神社となりました。

散策


参拝した11月3日は、採燈大護摩供(さいとうおおごまく)が執り行われ、関係者で大変賑わっていました。


石段を登って進んでいきます。


御神木は樹齢推定400年のスギ。大きい!!


龍の手水舎で心身を清めます。


人はたくさんいるし、煙が…・


拝殿前の狛犬様。なかなか厳しそう^^;


煙がどんどん流れてきました。風向きが心配…。


社殿は明治7年(1874年)の佐賀戦争(佐賀の乱)により焼失、現在の社殿はそのあと再建されたものだそうです。


おー、すばらしい。弁財天の扁額は珍しいですねー。


拝殿の中の様子。整然と片付けられています。


奥に見えるのが本殿。しっかりした構造でした。


境内右側の石窟には、弁財天のお使いといわれる白蛇が棲んでいると言われ、明治維新の際には下宮を白蛇神社と称していました。


近くにあった祠


境内右側から登った所にも白蛇様がおられるようです。


神仏習合の名残なのか不動明王もおられます。


採燈大護摩供は山伏による「山伏問答」など諸作法に続き、参拝者が願を書き入れた護摩木が投げ入れられ、炎と煙で煩悩を焼き尽くして身を清めるのだそうです。

御朱印

御祭神

田心姫神

市杵島姫命

湍津姫命

弁財天

所在地

佐賀県神埼市脊振町服巻1447