松本市街を流れる薄川の南岸に鎮座します。江戸時代までの筑摩の一般的な読み「つかま」が現在も残されています。
由来
創建は不明。遅くとも平安時代には成立していたようです。伝承によると794年、坂上田村麻呂が石清水八幡宮から勧請したのがはじまりとのこと。平安以降は、国内の源氏から篤く崇敬されました。室町時代には小笠原氏によって現在の本殿が再建され、江戸時代にも歴代藩主の崇敬を受けています。当初は「国府八幡宮」を称していましたが、明治初年の神仏分離で神宮寺(安養寺)が廃され、現在の社号に改められました。
散策
お祭り準備の最中、石造両部鳥居から入っていきます。
手水舎は水が出ていませんでした。使われているのかな^^;
朱色が印象的な赤い木造両部鳥居
お寺の雰囲気がある神門を通って拝殿に進みます。
拝殿は慶長15年(1610年)に松本藩主石川康長によって造営されました。松本市の指定重要文化財です。
拝殿右側には左から「子安大神社 熊野大神社」、「筑摩大神社」、「八坂大神社」が合祀されています。
本殿は永享8年(1436年)に焼失した後、同11年(1439年)に小笠原政康により再建されました。松本地方最古の建造物として国の重要文化財に指定されています。
太郎山神社の社殿
西側の道路をわたった先には「五條天神」が鎮座します。
その近くにある「飯塚」の祠。逆光でまぶしい^^;
社号標付近にも摂社がありました。
御朱印
御祭神
息長帯比売命(神功皇后)
誉田別命(応神天皇)
宗像三女神
・多紀利比売命
・狭依比売命
・多岐津比売命
所在地
長野県松本市筑摩2-6-1