賀茂御祖神社(下鴨神社)


本殿は東西に分かれており、西殿には古き京都を築いた神様である「賀茂建角身命」、東殿には上賀茂神社の御祭神・賀茂別雷命の母である「玉依媛命」が祀られています。

由来

「下鴨神社」の正式名称は「賀茂御祖神社」(かもみおやじんじゃ)といい、社伝によると神武天皇の御代に御蔭山に祭神が降臨したという。また、崇神天皇7年に神社の瑞垣の修造の記録があるため、この頃の創建とする説がある。一説には、天平の頃に上賀茂神社から分置されたともされる。また一方、文献上の初見は『続日本後紀』承和15年(848)ともいう。上賀茂神社とともに奈良時代以前から朝廷の崇敬を受けた。平安遷都の後はより一層の崇敬を受けるようになり、大同2年(807年)には最高位の正一位の神階を受け、賀茂祭は勅祭とされた。『延喜式神名帳』では「山城国愛宕郡 賀茂御祖神社二座」として名神大社に列し、名神・月次・相嘗・新嘗の各祭の幣帛に預ると記載される。弘仁元年(810年)以降約400年にわたり、斎院が置かれ、皇女が斎王として賀茂社に奉仕した。明治の近代社格制度でも伊勢神宮に次いで、賀茂別雷神社(上賀茂神社)とともに官幣大社の筆頭とされ、1883年(明治16年)には勅祭社に定められた。1948年(昭和23年)に神社本庁の別表神社に加列されている。

★ 公式ホームページ

散策


境内に入ってすぐの手水舎は趣がある造りでした。


横から境内に入っていたようです。朱色が鮮やかな「南口鳥居」から参道を進んでいきます。


高さ13mの堂々とした「楼門」。大きくてかっこいい!写真で見たやつと一緒^^ 左右に廻廊が伸びています。


「舞殿」。葵祭当日は勅使が祭文を神に捧げるほか、日本最古の歌舞といわれる「東遊」の舞が奉納されます。


「神服殿」。古来殿内の一室が行幸の時に玉座となった殿舎で、夏・冬の御神服を奉製する御殿であったため、この名前がつきました。


舞殿の奥に「中門」があり、中門をくぐると正面に幣殿があります。


「言社」(ことしゃ)は本殿前の7つの社の総称で、大国主命の7つの別名ごとの社で17世紀に造営されました。12の千支すべての守護神が祀られています。


干支である「ね」の社に手を合わせました^^


もらったパンフレットによると境内の配置はこんな感じ。


御手洗川付近。梅との相性が抜群でした^^


「媛小松」。葵祭と御蔭祭(みかげまつり)の際に奉される日本最古の歌舞の東游(あずまあそび)の中にこの媛小松が登場するそうです。


君が代にもうたわれた「さざれ石」。小さな石という意味で、年とともに成長し、岩になると信じられている神霊の宿る石です。


「糺の森」(ただすのもり)。鴨長明が歌に詠んだ瀬見の小川が流れる森で、広さは12万4000㎡。東京ドーム3個分の広さです。


糺の森に祀られている末社・賀茂斎院歴代斎王神霊社。2018年(平成30年)4月に再興されました。


「垂水」。屋根の下に大きな木の切り株が置かれており、志貴親王(しきのみこ)が詠んだ歌が記されていました。平成30年4月に完成したそうです。

御朱印

御祭神

玉依姫命

賀茂建角身命

所在地

京都市左京区下鴨泉川町59