海神社


福岡市城南区東油山に鎮座する海(わたつみ)神社。572年にインドから渡来した清賀上人は椿の実から搾った油による灯火の法を開いたといわれ,これが油山の名の起こりとされています。

由来

不詳、明治五年十一月三日村社に定めらる。社説に述ぶる所次の如し、元龍樹権現と云ふ筑前国続風土記拾遺によれば東油山村龍樹権現。堂の山上観音後高所に有産神也。神功皇后志賀三神を合祭る。祭礼九月九日正覚寺奉仕なり。毎年正月十五日粥を神前に供置二月朔日に至て黴の付るすき形体を見て其年の豊凶を占ひ知るとあり飯盛神社の例の如し。村民城戸氏なるもの此の粥を毎年供ふ城戸氏は昔此社繁栄の時の社人の裔なりといふ。此社女人の参詣を禁ずいかなる故にやいぶかしとあり。鎮座の年代不詳なれども寺伝によれば御尊体は僧清賀上人の謹作にして山内鎮守の神として勧請せりと謂ひ敏達天皇の御宇(一説に聖武帝の御宇とも云ふ)東油山観音堂建立と共に創祀せられしものなり古来比田伊(比伊)郷の郷社として藩政時代に降りても郡中より年々米十二俵の祭祀料を供進し二月朔日の御粥開の神事には早良郡下觸村村庄屋連の参詣あり尚御粥目録は御郡役所を始め觸内各庄屋に差遣したり。又毎年六月一日郡中早苗祝(郡全体の早苗祝祭の意なり)の祭を行へり。殊に九月九日祭礼には神饌調理の用具鍋釜叺蓆桝桶を始め祭器具に至る迄一式毎年其都度新調し清浄の品を以て献饌し厳重なること地方に其比なし。現今は明細帳に祭神豊玉彦命とあり古来の婦人参詣の禁も漸次解禁の傾向を呈せり

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散策


平成15年に東油山氏子会によって作られた鳥居。「海神社」の扁額が印象的です。


鳥居横におられた狛犬様と思われる石。顔はなく,胴体も離れていてかわいそう…。


石灯籠に「龍樹宮」と刻まれていました。


石段を登って拝殿に向かいます。


わずかな隙間から拝殿の中を撮影しました。


奥にある本殿。壁ぎりぎりに建てられています。


祠に「御神木」を祀っているようです。


あらためて撮影。石段を登った敷地いっぱいに建てられています。


近くにある展望台から福岡市内を眺めることができます。玄界灘の相の島,大島も見えました。

御祭神

豊玉彦命

所在地

福岡市城南区東油山508