小田部宝満宮


国道202号線バイパスの原北中学校交差点付近に鎮座します。バス通りの真横です。

由来

社説に曰く,当社の鎮座する小田部は,和名妙西海部第六十七筑前国早良郡郷名の田部(多陪)郷の遺名なり。近く飯倉,入部両所と共に景行天皇五十七年諸国に田部屯倉を置き給ひしによる地名にして,神社創祀の由緒明かならざれども上記より見れば田部の氏神として既に上古より勧請せられし事考へ得べし。例祭は古く九月十九日に執行せり,尚夏祭には蟲追の行事あり又例祭の前九月朔日には神縄御祭の神事あり,然して隣村有田は当地の枝村にして同所宝満神社は本社の分社とも伝ふ。神社の西北三町の処に宝満田と称する昔時の祭田あり。因に記す,境内に室見神社あり当社は元小田部の西方字古川と謂ふ所に鎮座ありしを明治十三年三月境内に遷祀せり,今其の廃阯は田の中に小森立残れり其側に古川の跡あり幅一間余り昔は早良川此処を流れたり,而して是より下流を室見川と呼ぶは当室見神社の側を流れ居りしに因みたるなり。

散策


鳥居付近。扁額には「宝満宮」とあります。


社殿左前にある手水舎


りりしい顔立ちの狛犬様


社殿は全体的に納骨堂のような造りでした。


境内にある記念碑


真横には小田部公民館があります。


塞の神も祀られていました。

御祭神

彦火々出見尊

鸕鶿草葺不合尊

玉依姫命

所在地

福岡市早良区小田部3-11-5