皇祖神社


福岡県飯塚市に鎮座する「皇祖神社」は,1508年 御笠郡宝満宮(太宰府市)から勧請された神社で、1869年までは宝満宮と称されていました。

由来

創立年代詳ならずも、神職有光家の旧録によれば其祖先は長州二ノ宮大宮司有光越後守時国の二男午之輔時安、故ありて當村に移住し、村民に神道の事を勧め遂に所の祠官となる。依って村民に氏神勧請のことを勧め、時安、村民と倶に御笠郡宝満宮に詣て、尊神を勧請し産神とし奉れりと云々。實に永世五年の頃なり。それより、子孫代々社食を継承す。社伝曰後奈良天皇享禄三庚寅社前に禅宗世尊寺を建立せしに、神慮に協はず云々、依って簀子を渡して寺を村下の端に移す、かくて里人愈々神慮を畏み寛永の頃迄は神幸等を為し奉り祭典も厳重なりしが、天和の頃より衰へたり。當時の神幸所を妹殿と言ふ、後に高木の神を勧請し神幸の例を以て年毎に八月朔日萬年願と唱へ本社に於て大神楽を奏し奉り、神幸跡高木神にも神楽を奏せり。寛永十五年社殿再建、天和二年神殿拝殿共に焼失し、同時に棟札縁起とも焼失す。元禄十三庚辰社殿再建。享保十三年左大臣基凞の書せられたる寶満宮の額面を奉納す。(此額字御笠郡寶満宮)現今別表神社旧官幣小社竈門神社にあり、本社は同宮の御分霊なれば写を申受たるべしと言ふも今記録の存するものなし。延享二年地頭野村隼人(旧福岡藩士)にして地行七千石當社を尊信し御供米として毎年一俵二斗一升八合を奉納し、神田六畝二十六歩を寄進せらる。嘉永二己酉年不浄の事あり拝殿を取毀す。明治二年許可を得て皇祖神社と改稱す。同時旧藩主黒田長知公皇祖神社の額字を書して奉納せらる、蓋し野村家の地行村たりし縁故に依る。

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散策


鳥居付近。境内までまっすぐ進んでいきます。


入口付近になる案内板。御祭神や由来が記されています。


手水舎にも赤い提灯が飾られていました。


目と大きな口が特徴的な狛犬様


隣にはさらに古そうな狛犬様がおられます。


天皇陛下在位六十年記念。鈴木元総理の名前があります。


拝殿の左隣によく似た大きさの社があります。鳥居には「須賀神社」と書かれています。


その中の様子。ん?皇祖神社と書いてある。なぜ?

他にもたくさんの祠があります。

御祭神

玉依姫命(たまよりひめのみこと)

品陀和氣命(ほむたわけのみこと)

息長足姫命(おきながたらしひめのみこと)

所在地

福岡県飯塚市鯰田1909